石川直樹
写真家 1977年東京生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。
愛用カメラ:Plaubel makina67、Mamiya 7II
<赤いやつ>
吉開菜央さんと一緒に「知床・斜里」をテーマに映画を撮ることになった経緯とは。
「6年前、地元の写真愛好家と”写真ゼロ番地知床”というプロジェクトを立ち上げました。毎年、写真家を招いて僕との二人展をやっていたのですが、その企画として映像作家の吉開さんを招いたのがきっかけです。一度も知床に行ったことのない吉開さんに、まず知床の斜里町を旅してもらい、そこに暮らす人々に会ってもらって。あとは『なんでも好きにしてください』と伝えました。何かに忖度することなどなしに、まずは斜里に素手で触れてもらって、自由にのびのび作品を作ってもらうことが大切だと考えたからです。当初は長編映画ではなく5~10分の短編映像を作ろうという話だったのですが、地元の人々の協力もあって、いい映像がたくさん撮れてきたので、徐々に長編映画に生まれ変わっていきました」。
変に作り込まず、ありのまま。 その場その場で、そこにある一番いいものを撮る
映画の始まりはひとつの紙芝居。知床の自然や子供たちとともに描かれていたのは、生命のメタファー的な存在である<赤いやつ>。
「最初、吉開さんから手描きの紙芝居をとおしてイメージを伝えられました。何の説明もなく、これはいったい何なんだろうと思う内容でした。<赤いやつ>は名前も何もない、生き物なのか人間なのかすらわからない。話を聞いていくうちにだんだんとその存在が意味するところが見えてきたといった感じです。<赤いやつ>は吉開さん自身が演じるのですが、その中に入っているときの吉開さんはまさにトランス状態。どんな動きをするかも、何が起きるかもわからないから、とにかく目を離さないように撮っていくしかない。構図は自分の直感で、写真を撮るような感覚で決め、ズームレンズなどは一切使わずに自分の目で見た距離感を大切に。変に作り込まず、自分が写真を撮るような感覚でありのまま。その場その場で、そこにある一番いいものを映像に撮るだけでした。自分が撮った写真や映像が、意図しない未知の方向へぶっとんでくれることが嬉しいし楽しかったですね」。
<40年に一度の異常気象>
<赤いやつ>というファンタジーな存在とともに映し出されたのは、知床の自然と、それを享受して生きる個性ある地元の人々。撮影時は奇しくも40年に一度の異常気象で、雪が全然降らない、流氷もなかなか来ない、そんな異変続きの冬となった斜里町。そういった環境問題とも密接に関係して暮らしている人々のリアルをドキュメンタリーで追っている。
「『自然という原資は使わず利子だけで生きていく』。これは地元の人が語った印象的な言葉です。知床の方々は、漁師や農家、観光業に従事している人など、仕事や立場が違えど”自然があっての私たち”ということをよく理解されている。遡ればアイヌ、開拓者などたくさんの人の歴史があるにもかかわらず、大自然とだけで括られることが多かった知床ですが、そこに住んでいる人に焦点をあてることで、多様な知床の側面を少しでも感じ取ってもらうきっかけになったらと思いました。映画製作を進めていくうちに、異常気象が知床とそこに暮らす人々にどのような影響を及ぼしていくのか知っていくことになるわけですが…。僕としては特段、環境問題だけを訴える気持ちがあるわけではないけれど、そういったものは確実に写り込んできますよね。写真や映像を撮ること自体が、目の前にある環境について自然と想いを馳せることでもありますから」。
<偶然>
予定調和ではなく、偶然を受け入れて撮る
「最近感じるのは写真と動画の垣根が曖昧になってきているということ。そして、写真と映像は非常に親和性が高いということです。写真はいろんな偶然が折り重なって、それを受け止めるように撮っていくわけですが、今回の映画でも吉開さんの考え方がそれに近かったので僕と合いました。撮り直すこともあったけれど、基本は偶然を受け入れて、一発で撮っていく感じです」。
それを象徴するのが、子供たちの相撲大会に<赤いやつ>が乱入してバトルを繰り広げるシーン。
「実際に相撲大会を企画して、ガチンコで相撲を取ってもらいました。そこに、子供たちには知らせずに突如<赤いやつ>が乱入してくるというシーンでは、その反応がどうであろうと即興で一発撮りで撮る。やり直しができない、2回目はありえなかった。<赤いやつ>に驚いた子供たちは、突然泣き出し逃げ惑う子もいれば、抱きついたり戦おうとパンチしてきたり。とにかく予測不能な動きをするから、僕自身も動き回って気づいたものを片っ端から撮っていく。こちらのイメージを裏切った想像を超える展開が目の前に繰り広げられていて面白かったです。仮にもストーリーがある映画で、これだけ偶然性を取り入れて撮っていくのも珍しいでしょう。それが普通の映画にはない『Shari』の魅力となりました。予定調和ではないリアルが映っています」。
<命>
<距離感>
ズームレンズってちょっとずるい。自分ズームが一番伝わる
映像にしても写真にしても、誰かに「伝わる」という点で大切なことは何か。
「好きこそものの上手なれ、なので。好きなものや自分が心揺さぶられたものをただただ撮ればいいだけだと思います。SNSでいいねがもらえそうだからとか、自分は好きじゃないけど、これを撮れば人に褒められるだろう的な考え方で撮るとダメになる。自分がいいと思ったものを撮ればいいと思う。伝わるという意味では、” 自分ズーム”がいいんじゃないですかね。ズームレンズって、僕はちょっとずるしてる感じがするんですよ。例えば初対面の人を撮るときでもレンズをまわせば寄って撮れてしまう。自分と世界との距離がちゃんと写らない気がするんです。僕は”自分ズーム”って呼んでるんですけど、寄りたければ寄ればいいし、引きたかったら自分の足で引けばいい。自分の足というズームがあるので単焦点レンズだけで何の問題もなく撮れる。恥ずかしいと思って近づかなければ恥ずかしいと思った距離が写るし、好きと思って近づいていった距離もそのまま写るので。その自分なりの視点の距離感が『Shari』にも表れていると思います」。
Information
映画『Shari』
あらゆる命の声に触れる、唯一無二の映画体験。
監督・出演:吉開菜央
撮影:石川直樹
出演:斜里町の人々、海、山、氷、赤いやつ
音楽:松本一哉
配給:ミラクルヴォイス
©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa
GENIC vol.61 【表現したいことをカタチにする力 伝わるクリエイティブ】
GENIC vol.61
テーマは「伝わる写真」。
私たちは写真を見て、何かを感じたり受け取ったりします。撮り手が伝えたいと思ったことだけでなく、時には、撮り手が意図していないことに感情が揺さぶられることも。それは、撮る側と見る側の感性が交じり合って起きる化学反応。写真を通して行われる、静かなコミュニケーションです。