手を放すことで見えてくるもの/ぽんずのみちくさ Vol.58
GENICのお仕事で、今年の冬は北海道・上川町で過ごした。住んでいる部屋は東京に残したままの、プチ移住。
プチとはいえど、移住は移住。その場所で暮らすのだから、旅行の持ち物とは違う。そこには「生活」がある。
最低限の着替えにハンガー、布団、ベッドカバー。ひとり分の食器、ミニボトルのシャンプーとコンディショナー。初めてひとり暮らしをする大学生の生活を、もう一回り削ったような顔ぶれが揃った。すっきりとした部屋は、まるでミニマリスト。普段の私とは正反対だ。
少しだけ彩りを加えたくなって、あたたかなウールのスリッパや、シンプルなガラスの花瓶も買ってみる。昼夜問わず暖房をつけているせいで肌がからからに干上がってしまうので、ずっと欲しかった加湿器も通販で取り寄せた。
そうして出来上がった部屋を見て、少しだけ驚いた。自分で買い揃えたものを見て驚くというのも変な話かもしれないけど、北海道でこしらえた自分の空間は、東京のそれとはちょっと違ったのだ。
東京の部屋と比べて、シンプルなものやナチュラルな雰囲気のものばかり選んでいる。「今の私は、自覚していた以上にナチュラルなものや、シンプルなものが好きなのかもしれない」と気づいてびっくりした。数年前まではカラフルなものやデコラティブなもの、クラシカルなフォルムのものを好んで蒐集していたけど、どうやら少しずつアンテナは変化しているらしい。
何年も住んでいる東京の部屋と違い、北海道の部屋にあるのは「今」の私が好きなものだけ。その空間は、とても心地の良いものだった。目に入るものはすべてお気に入り。置き場にも迷わないし、探し物に費やす時間も少なくてストレスフリー。
東京に戻り、あらためて部屋を見渡す。
好きなものばかり置いていると思っていたけど、惰性で置いてあるものや、なんとなく捨てづらくて放置してあるものが、案外たくさんあることに気づく。
ここには、何年もの生活のかけらが積もっている。大学生活を始める際に京都のイズミヤで買ったどんぶり、「とりあえず」のつもりで買って5年使っているカーテン、会社の同期と海へ行くときに一度だけ着た水着。「過去」の私が買ったものたちが、地層のように積もっている。
ミニマリストを目指すわけではないけど、北海道で一度「本当に好きなものだけ」がある空間の良さを味わってしまった以上、もとには戻れない。
私のお片付け欲に火がついた。
思い切って処分したり、まだ使えるものはメルカリに出したりしてみたところ、部屋は見違えるようにすっきりした。
いざ手放してみて気づいたことがある。手放せずにいたものの多くに対して、目に入るたび、どこか罪悪感を覚えていたらしい。
活用できていないことをもったいなく感じたり、衝動買いを恥じたり、過去のことを思い出して胸がチクッと痛んだり。それはどれも一瞬の出来事で、ほぼ無意識に近いものだった。だけど、たとえそれがコンマ何秒の世界であったとしても、確実に罪悪感を覚えていたことを知った。
片付いた部屋を眺めながら、ふと思う。部屋作りや片付けは、撮影後の写真のセレクト作業に似ている。お気に入りの一枚を探すためには、何枚もの、ときに何百枚もの写真をボツにしなきゃいけない。
だけどそれは、大切な一枚を掘り出すために必要不可欠な行程だ。ボツになったとしても、その瞬間にシャッターを切った経験は無駄にはならないし、セレクトして削ぎ落とすことで、お気に入りの写真を見返す機会は増える。その結果、楽しかった記憶も鮮明に残る。
勇気を出して手放すことで、大切なものの輪郭が見えてくることもある。
なんでもかんでも両手で抱えておくことだけが、大切にすることではないのだろう。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。