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20年越しのバトン/ぽんずのみちくさ Vol.63

片渕ゆり(ぽんず)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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20年越しのバトン/ぽんずのみちくさ Vol.63

たしか小学6年生くらいまで、男物の服ばかり着ていた。ナイキとか、PUMAとか、知り合いの年上のお兄さんからもらったお下がりばかりを好んで着ていた。「女の子向け」に作られたピンクのTシャツやフリルのついたスカートが、どうしてもピンとこなかったのだ。

小学生の頃の私が好きだったのは、校庭の隅の大きな木の根元に秘密基地を作ることとか、学校の七不思議を無理矢理見つけ出すこととか、理科準備室のホルマリン漬けを眺めることとか、そういったことだった。

スカートが苦手なのと同じように、本や物語の世界に出てくる「女性」にも、あまりピンときていなかった。図書館で夢中になる物語の主人公はたいてい男の子。泣いてばかりで足手まといの妹も、家でじっと待っているお母さんも、決して冒険には行かない。

その頃、たった一度だけ観たミュージカル「ライオンキング」に心底惚れ込んだ。打楽器の奏でるリズムに血が躍り、衣装やセットの刺激的な色彩に胸が高鳴る。舞台の上にはアフリカの大地があり、劇場の中には大陸の風が吹いていた。

観終わってからも、興奮は覚めるどころか増す一方だった。どうしてもあの音楽がまた聴きたい。しかし、小学生のお小遣いでCDを買うのは、夢のまた夢。隣町のレンタルショップまで行っても劇団四季のCDは置いておらず、知人を頼ってCDを貸してもらい、カセットテープにダビングした。

それからはもう、取り憑かれたかのように何度も何度もテープを聴いた。薄れていく記憶を補うべく、舞台の様子を想像しながら何度も聴いた。そして歌った。

その年のクリスマスは、サンタに本をねだった。「ライオンキング」の演出を担当したジュリー・ティモアによる著書、「ライオンキング ブロードウェイへの道」という本。

彼女はいかにして名作ミュージカルを生み出したのか。その舞台裏を追体験できるなんて、こんなに幸せなことはないと思いながらページをめくる。

しかし、一箇所、引っかかる部分がある。演出家のティモアは「強い大人の女性が一人も出ていないことが妙に気になりだした」ため、マントヒヒのキャラクターを、男性から女性に変えたというのだ。「マントヒヒの一匹くらい、オスでもメスでもどっちでもいいやん」というのが小学生の私の正直な感想だった。どっちでもいいと思いつつ、なぜか気になる。どこかモヤッとした気持ちが残る。

その「モヤッ」を放置したまま、気づけば20年近くがたった。

約20年後。勤めていた会社を辞めて、私はタイにいた。有名な夜景を撮りたくて訪れたビルで、「ライオンキング」が上映されていることを知る。

大人になって、知らない土地で、新鮮な気持ちでこの舞台を観て、やっと気づいた。この物語の中では、冒険に出るのも、喧嘩するのも、旅をするのも、男の子だけの特権ではない。ずっと目の前に差し出されていたバトンに、ようやく気づけた、と思った。ジャージを着てサッカーボールを追いかけていた私がこの物語に救われていた理由が、ようやくわかった気がする。

昔のSONYの広告コピーに、こんなものがある。「10代で口ずさんだ歌を、人は一生口ずさむ」。10才で口ずさんだアフリカのリズムを、私はきっと一生口ずさむ。

片渕ゆり(ぽんず)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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