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山に登る/龍崎翔子のクリップボード Vol.43

龍崎翔子<連載コラム>第2木曜日更新
HOTEL SHE, OSAKA、
HOTEL SHE, KYOTOなど
25歳にして5つのホテルを経営する
ホテルプロデューサー龍崎翔子が
ホテルの構想へ着地するまでを公開!

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山に登る/龍崎翔子のクリップボード Vol.43

学校の登山行事の日はいつだって憂鬱だった。私が通っていた中学校は今思えば昭和時代もかくやというスパルタな行事が残っていて、1年では日本海で4kmもどんぶらこと遠泳する臨海学校、2年では蓼科山によじ登る林間学舎があり、その体力づくりのために頻繁に山に登らされた。

ドラえもんの肌の色みたいなスカイブルーのジャージに身を包み、120人の生徒たちが列をなして行軍する山道。テンションが高いのは引率の教員だけで(今思うと彼らも私たちのために明るく振る舞ってくれていたのだと思う)、しんどいとか疲れたとかぶつぶつ念じながら心を無にしてひたすらに大腿筋に負荷をかけ続ける時間も苦痛だったし、何より汗まみれ泥まみれのダサいジャージに登山靴で帰り道の地下鉄に乗って帰宅することがとにかく不愉快で仕方なかった。

さらにいうと、私の通っていた学校は更衣室にお菓子の包み紙の切れ端が落ちているだけで「あの飴ちゃんは誰のやー!!!」と強面の生徒指導科の体育教師に恫喝されるような厳しい環境だったので、入学したての登山行事の帰り際にロープウェイ駅でひとりガリガリ君を食べていたことを他クラスの女子に告げ口され、翌日学年集会を催され全員反省文を書かされたのも輪をかけて登山を嫌厭する動機たりえた。

登山行事の集大成である蓼科山登山は、年間のハイライトともいうべきイベントで、当時の文集を見返すと、「頂上で雲海を見れた」と言った文言が躍るが、自分の記憶には雲海はさほど残っていなくて、どちらかというと頂上までの最後の数十メートルにわたって巨大な岩が連なる坂道をロープなしで登っていたことの方が印象に残っている。霧がかって湿っている、自分の腰~胸くらいまで高さがある岩を必死でよじ登って、ふとした時に後ろを振り向くと遥か下まで同級生たちが必死にしがみついている。ここで足を踏み外したら麓までゴロゴロっと行ってしまうのではないか、という猛烈な不安と焦燥感だけは今でも鮮明に思い出すことができる。

そんなわけで、私にとって登山とは、「命の危険をかけてわざわざ苦痛を感じにいく不可思議な行為」となった。大学に入り、山岳部やワンゲル部の友人がクリスマス休暇に剱岳に登ったりしているのを見るたびに、なぜわざわざ危険を冒してまでそんな趣味を、とヤキモキした。

何が楽しくて山に登るのか不可解で仕方なくて、いつの間にか調査研究に没頭した。遭難した時の対処法、凍傷の治療法、ビバークや採暖の仕方、アイスクライミングや沢登りなどを含む登攀技術、山岳救助、世界中の難山や登山家の実績、そこで生まれたドラマ。wikipediaで、登山メディアで、漫画で、映画で、小説で、ドキュメンタリー映像で。読んでも読んでも、なぜこの人たちが辛い思いをしてまで山に登っているのかちっともわからなかった。

嫌いで仕方なくて、怖いもの見たさで衝動的に興味を持っていた世界に、いつの間にか私自身がのめり込んでいた。

そんな話を彼氏にしたら、「なんか山に登りたくなったな~」と言われた。その言葉を聞いた途端、私もなぜか山に登りたくて仕方なくなっていた。登山行事の頃の思い出は遥か10年以上もの歳月に風化して、その土地の歴史を作った雄大な山を、風土を身体で感じたいと思うようになった。

そんなわけで今月のどこかで比叡山に登ろうと思います。

龍崎翔子

2015年、大学1年生の頃に母とL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を立ち上げる。「ソーシャルホテル」をコンセプトに、北海道・富良野に『petit-hotel #MELON』をはじめとし、大阪・弁天町に『HOTEL SHE, OSAKA』、北海道・層雲峡で『HOTEL KUMOI』など、全国で計5軒をプロデュース。京都・九条にある『HOTEL SHE, KYOTO』はコンセプトを一新し、2019年3月21日にリニューアルオープン。

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