複製できない時間/ぽんずのみちくさ Vol.80
以前会社で、大事な資料をどう残すべきかという話になって先輩と意見が割れた。
「知ってる?紙はどんな媒体よりも長く残るんだよ。パソコンが滅びても、紙は残るよ。一番丈夫な媒体は紙なんだよ!?」
「紙は燃えたり濡れたりしたらアウトじゃないですか。ここ、災害大国ですし。パソコンがダメでもクラウドがありますし……」
「いやいやクラウドだって問題が起こるかもよ?」
大事なものだからこそ紙で残すべきという先輩と、だからこそデータで残すべきと思う私。お互い「それはそうだけど、でも」という顔のまま、次の会議が始まった。
紙のほうが偉いとか、データのほうが優秀だとか、そんなことを言いたいわけじゃない。結局のところ、ケースバイケースだろう。紙とデータ、両方で残すという方法だってあるわけだし。
それでも私がつい「紙」を恐れてしまうのは、その保存性を疑っているというよりは、一つしかないオリジナルを失うのが怖いから、というのが近い気がする。デジタルデータなら、複製を残しやすい。コピーアンドペーストで、寸分違わぬ複製が一瞬で作れる。パソコン1台ならば脆くても、同じデータが4、5箇所にあれば、ある日突然大地震が起きても、失われる危険性は低くなる。
そうして日々、写真を撮ってはデータを複製し、決して消えないよう奮闘している私のもとに、誕生日のお祝いでガラスペンが届いた。
以前のコラムでも書いたけれど、今年に入ってから手書きの日記を続けている。そこで、ガラスペンで日記を書いてみることにした。
ペンそのものの造形の美しさにも驚いたけれど、もっと驚いたのは、そこから生まれる文字の、「再現性の無さ」だった。同じ自分が同じように書いても、同じものが作れない。昨日の線と、今日の線は、同じようでいて表情が違う。ちょっとした角度や筆圧の変化で、インクの滲み具合や線の太さがころころと変わる。ダブルタップで「やり直し」することも、消しゴムツールで修正することもできない。一画一画、慎重に書くほかない。
一度きり。今抱えている感情も、今この瞬間も、一度きり。目の前のことはたった一度限り。ペンを走らせると同時に、「今」があっという間に過ぎ去っていくことを知る。いつ割れてもおかしくないガラスの素材が、より一層そう思わせるのかもしれない。
「一度きり」しか書けない線と、「いくつでも」残せるデータ。どちらも味わえる時代に生きているのだ。どちらか選ばなきゃいけないなんてルールはない。欲張って、どちらも味わってみよう。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。