私以外の誰かを見つめる眼差しのこと/ぽんずのみちくさ Vol.11
大学を卒業し、働き始めたばかりのころ、ダサいと感じる商品パッケージを親の仇のように嫌っていた。とくに、商品前面にデカデカと書かれた文字と、主張の激しい色使いが嫌いだった。もはや憎んでたといっても過言じゃない。
こんなに大きく商品名を書かなくても、読めるのに。「飲まないでください」?だいじょうぶ、飲んだりしない。無駄な言葉はぜんぶ消して、シンプルにしたほうが絶対売れるのに。
会議でテーブル上に並ぶ商品の新しいパッケージ案を見ながら、頭の中で毒づいていた。せっかくの新しいパッケージなら、もっとお洒落にすればいいのに。若い人が好きそうなデザインを作ればいいのに。
入社したばかりの私に発言権はなく、ただ後列でメモをとるだけだった。しかし、「納得いかない」という気持ちは、顔に出てしまっていたらしい。
その後、同じ部署のベテランの先輩と飲みにいく機会があった。
「なんでうちの会社のデザインはあんな感じなんですか」
せっかく「歓迎会」と称して呼んでもらったのに、ずいぶん不満げな顔をしていたと思う。今思い出すと申し訳なさと恥ずかしさで心臓がきゅっと縮むけど、先輩は怒りもせず、「勢いがあってよろしい」という感じで笑っていた。
「たしかに、そうだよね」変わらなきゃいけない部分だと思う、と肯定しながら、でも、それに続けて、こんな話をした。
「誰もがぽんずちゃんと同じように商品を買うわけじゃないよね」
憮然とした顔の私に対して、先輩は穏やかに続ける。子どもも、お年寄りも、外国から来た人も、ゆっくり商品を吟味する暇もないくらい忙しい人も、誰もが間違わずに手に取れるようなデザインが必要だ。
言われるまで考えもしなかったけど、そういえば自分にも経験はある。言葉のわからない国では、水一本買うのでさえ一苦労だ。喉がカラカラでスーパーに駆け込んだのに、どれが水だかわからない。水だと信じて買ったのに、喉が痛いほどの強炭酸だったり、甘ったるいジュースだったり。短い旅のあいだなら笑い話で済むけど、それが毎日の生活の中の出来事であれば、笑えなくなることもあるだろう。
私にとって「ちゃんと読めば読める」大きさの文字は、80歳のおばあちゃんには「全然読めない」大きさだったりする。私にとっての「赤」は、人によっては「灰色」に見えたりする。
それまで自分の好みだけで良し悪しを判断して文句を垂れていたことが、急に恥ずかしくなった。
背景を知ったからといって、好みが変わったわけじゃない。相変わらず派手な色使いは苦手だし、大きな文字も好きじゃない。それでも、苦手なデザインに出会ったとき、嫌いと憤慨するのではなく「なんでこういう風にしたんだろう」と考えるようにはなった。
商品はしゃべらない。だけど、その裏には必ず作り手の意図や眼差しがある。「好き」「嫌い」と判断をくだす前に、その眼差しをちょっとでも受け取れたらいいな、と思っている。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。