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いちばん幸せな今日/ぽんずのみちくさ Vol.4

ぽんず(片渕ゆり)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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いちばん幸せな今日/ぽんずのみちくさ Vol.4

結婚式のスピーチや司会の言葉で、「人生最良の日」とか「いちばん幸せな今日」とかいうフレーズを聞くことがある。

結婚する二人に向けて、今日という日が幸せであってほしいと願うことは自然な気持ちだ。

だけどその一方で、どこか釈然としない気持ちも抱いてしまう。だって、明日から始まるふつうの日々のほうが、圧倒的に長いのだ。結婚式はスタートにすぎない。だから、「未来のほうが今日より幸せであってほしい」と思ってしまう。豪勢なお肉にずぶりとナイフを入れながら、自分の式でもないのにそんなことを考える。

一緒にいればいるほど、長い時間を過ごせば過ごすほど、お互いを愛せる関係。そんなものは幻想だろうか。


・・・


その日、私はリヴァプールにいた。

どこか神戸を思い出すような港街。現代的なガラスのビルと由緒正しいレンガの建物が入り混じり、白いカモメが飛んでいる。

向かったのは、ちいさなライブハウス。ビートルズの聖地と呼ばれる、キャヴァーン・クラブだ。キャヴァーン(洞窟)の名にふさわしく、地下への階段をぐるぐる降りた先にある。

かつてビートルズが歌っていた場所は、今は世界中からファンが集う場所となり、一日中、ビートルズのカバーが演奏されている。

シンガーが「All You Need Is Love」を歌えば、その場にいる全員が「チャッチャラララ〜」とご機嫌に返す。サージェント・ペッパーズのロゴがでかでかと入った革ジャンを着たスキンヘッドのおっちゃんが、ビールを置いて愉快に踊り出す。ギターを抱えた男の子も、派手なタトゥーのお姉さんも、みんなで曲に合わせて揺れている。

誰かがリクエストをした。

「次の曲は、遠くピッツバーグから来たメアリーのために歌います」

リクエストしたのは、彼女の夫らしき人だった。

「64才の誕生日おめでとう」

シンガーが笑うと同時に、64という数字を聞いて、あ、と思う。

ぽこぽこと陽気で呑気な導入が始まる。64才の誕生日に歌う曲といったらこれしかない、「When I'm Sixty-Four」。

わたしが歳をとって、髪も薄くなって
これからうんと長い月日が経ったあとも
バレンタインや誕生日には
ワインをプレゼントしてくれる?

-John Lennon & Paul McCartney

はにかむメアリーに、会場の人々が拍手を送る。

64才の誕生日に合わせてわざわざアメリカから来た夫婦のことを思うと、誰に対してかわからないけど、「ほらね」と、勝ち誇った気持ちになった。

メアリーとその夫がいつから一緒にいるのかは知らないけど、おそらくは30年、40年くらい連れ添っているのだろう。一緒にお金をためて、一緒に飛行機に乗って、大好きなバンドの聖地へ。そしてとっておきの一曲をリクエストする。いかにもイギリスっぽいぬるいビールをちびちび飲んで、好きなように踊って。素敵じゃないか。

純白のドレス姿でもなく、花束を抱えているわけでもない。だけど目を細めて曲を聴くメアリーの姿がなんだか眩しくて、私まで幸福で胸いっぱいになってしまって、薄暗い会場の中、柱の陰でちょっとだけ泣いた。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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