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お茶の時間/龍崎翔子のクリップボード Vol.71

龍崎翔子<連載コラム>
HOTEL SHE, 、香林居、HOTEL CAFUNEなど
複数のホテルを運営する
ホテルプロデューサー龍崎翔子が
ホテルの構想へ着地するまでを公開!

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お茶の時間/龍崎翔子のクリップボード Vol.71

裏千家の門を叩いて地味に3年ほどになる。

この間、幽霊部員としての活動期間を経ながらも、先生に呼び戻していただき、現在は京都の北の方にある禅寺でのお稽古に毎月通っている。

そもそも私は嗜好品に依存する習慣があまりない。いい宿をつくるには遊び多き趣味人たるべし、とかねてより思ってはいるものの、酒も茶も煙草もコーヒーも、せいぜいお付き合い程度にしか嗜まない。中でも、抹茶に関して言えば、そもそも苦いし、和菓子もあまり好きでないし、カフェで選択肢に困った際に苦し紛れに抹茶オレを頼むときくらいしか縁がない。

丁寧な暮らしとは程遠い、日々ペットボトルまみれの生活を送っている私が、日々東奔西走する多忙な経営者である私が、そして飽きっぽくて救いようのない浮気性であるところの私が、なんやかんやお茶に通い続けているのは我ながら不思議なことのように感じている。

お茶について語るのは難しい。碗の中のピースフルネスだとか、二十四節気七十二候の移ろいを嗅ぎ取るだとか、イニシエーションとしての作業瞑想だとか、聞き齧った付け焼き刃の知識をさも自分の言葉かのように語ることはできるかもしれないけど、それらを自分の身体性に結びつけることは全然できる気がしないくらい、掴みどころがなくてよく分からない。

なのに、訳も分からず通っている。禅寺に辿り着くまでの道の、家々の軒先に茂る朝顔の花。お稽古場の庭先の水蓮鉢から顔を出す蓮のつぼみ。重たい木の扉に、古い畳と和紙の香り。渡り廊下から見える、庭の池とそこに映る青紅葉の光。水屋から聴こえる女性たちの話し声と流水音。その全てが、さりげなく美しい光景として私の世界に流れ込んでくるのである。

薄茶器の蓋を開けて、中に入った抹茶を眺める。蓋を戻して、次の人に渡す。「ただ眺めるだけじゃなくて、抹茶の粉が生み出した地形を楽しむのよ」と先生は言う。改めて覗き込んでみると、深緑の抹茶の粉は、まるで急峻な山のように、谷があり、尾根があり、平野や盆地があり、小さな崖崩れの跡があり、この蓋を再び閉じれば二度と全く同じものは現れないであろう、手のひらの中の箱庭が現れていた。まるで神になったかのような視点から、半径3cmの器の中の世界を眺めて、そしてそっと蓋を閉じた。次の人に薄茶器を手渡しながら、これが一期一会なのかとぼんやりと考えたりした。

習ったばかりの点前を恋人に披露したくて、家の若草色のカーペットにゴザを敷いて、小さな即席のお茶室を作った。家にあった古びた木の盆に、お気に入りの抹茶碗を載せ、フィンランドで買ったiittalaのガラス器を建水に見立てた。床の間がわりのブルキナファソの民族の椅子に、スーパーの花屋で買った草木を活けた。家の中にあったアイテムだけで組み立てた、窓辺の素朴な茶室。

リビングの一角で、深夜に始まる二人だけの茶会。覚束ない手付きの主人と、見様見真似の客、温度と泡立ちが微妙な一杯の茶。有り合わせの茶器にお似合いの、不完全な私たちの茶事。それでも、いつもの風呂上がりの日常が、凛と張り詰めた空気で満たされていく。

正直、いつも忙しく過ごしている。PCと睨めっこし、新幹線で駆け回り、自分の一分一秒を最終的には換金しながら生きている。見聞きするもの、そこへの思考と判断、自分の一挙手一投足が、なんらかの意味ある明確なゴールに収束するように頭と身体と心を使っている。そんな生活と人生を、好き好んで送っている。

でも、お茶の時間は、まるでラジオの周波数を合わせるように、今まで見落としていた風の温度とか、木の葉のゆらめきとか、茶道具のわずかな歪みとか、そうしたものにピントが合うように自分自身のアンテナをチューニングする時間なのだと思う。美しさへの感動、季節の変化、誰かの気の利いた洒落、そうしたものを愛でる自分を無条件に許せる僅かな時間として、私の中にお茶の時間があるのかもしれない。

人生と生活のB面、裏番組にチャンネルを切り替えるための装置として、人はお茶を点てるのだろう。

プロフィール

龍崎翔子

龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。

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