清水正己
Photo:Hajime Sawatari
クリエイティブディレクター・アートディレクター
1953年長野県生まれ
1975年多摩美術大学デザイン科卒業
1979年流行通信社入社
1986年流行通信社退社・清水正己デザイン事務所設立
数多くの広告賞を受賞する。
紙という素材に定着したデザインをあらためて眺めてみてもらいたい
1980年代から発信されてきた数々の雑誌たち。清水正己と時代をともに駆け抜けた世代はもちろん、新時代の感覚をつくりだす新しい世代にも、紙という素材に定着したこの雑誌たちを、そのデザインをあらためて眺めてみてもらいたい、という想いで企画が始まりました。ほとんどの情報やカルチャーがデジタルに置き換わりつつあるいま、どんなふうに受け取られるのか。そんな想いから、誰もがふと立ち寄りやすく、自由奔放に刺激を受けられるよう、スパイラルガーデンを会場としています。一見単純に見えるその展示方法に、細部までリアルにこだわるアートディレクター清水正己の本気が宿っています。
デジタル時代のいまこそ、若い世代と共有したい。「ネオ・カルチャー」という再解釈
デザインという仕事に関わった時からサムネイル(thumbnail)を作るのが好きだった。親指サイズの小さな画ですべてここから始めていた。この小さなスペースで手を動かし続け考えて作ってきた。エディトリアルと広告という2つの領域のアートディレクションを1970年代後半からやり始め現在に至っている。
今回の展示は雑誌デザインと共に時代を歩んできたカルチャー誌をメインに、時代の流れがわかるようにしてみた。1979年タブロイド版「STUDIO VOICE」から始まってA4サイズまでの変遷。1984年創刊の男性ファッション誌「X-MEN」。1986年にフリーになって始めた「ROCKIN’ON JAPAN」、そして一番かっこいいインタヴューマガジンを作ろうと1988年に創刊した「CUT」。1998年から12年続けた新潮社「月刊シリーズ」は、新しいグラビア誌、写真集の新提案だった。その後もフリーペーパー「FILT」「WE/」などを作ってきた。
80年代、90年代、2000年代、現代に至るデザインの軌跡をいま改めてメタフィクション的にとらえた時、そこに「ネオ・カルチャー」という新旧を貫く概念がデジャヴュのように浮かびあがってくる。
清水正己
清水正己、あの頃のカルチャー誌デザインへの思い
過去に受けたインタビューからの抜粋を原文のままで紹介します。
「想像力でガンガンいきます」
「本質とか、精神とかが奥にある表現に挑んでみたい。カッコよい、きれい、アートっぽい、ではもう感じない」
(デザインの現場 1987年)
「表紙が顔だとしたら、目次にはその本の性格の善し悪しが出てきます」
「エディトリアルのオーガニックな部分は、もっと広告にも反映していいでしょう」
「ヴィジュアルが象だとしたら、エディトリアルの文字組は蟻んこみたいなものです(中略)しかし我々デザイナーは、文字を制しない限りヴィジュアルも作れません。
“文字の気持ち”は絵にも勝ると思って、これからもやっていきたいと考えています」
(たて組ヨコ組 1989年)
「表現するときのあの手この手の方法論でスタイルや変化を求めるものより、直球でズバッと行く方がこの混雑な現在には伝わります。そこには小手先の“ワザ”はいりません」
(AXIS 1987年)
「将来こうしようとかは考えていません。ただ、いいものをつくっていきたいと思っています。いいものをつくった時の快感が一番ですからね」
「僕が絵を描く場合は、空白のときである。そこで、ジッと念じておまじないをする。どうか、ペンギンになってくれ、と」
(写研69 1987年)
「デザイナーとしてのちょっと違った筋肉をつかう手作業を絶対残してなきゃいけないと思うんだ」
(モノ・マガジン 1989年)
「いま、自分は新鮮である、と思うことにしている。いろいろとタメ込んでいる、ちょっと違う世界のことをどう出してやろうかな、小出しにしようかな、でもまあいいか、その場その場の思いつきで出してしまおうと」
「何があっても、どこかでいつもこだわり続けていたいのが、アートである」
「ゴミゴミとした机の上で、いじいじやっていても、ヌケたものはできないなあ。やっぱり日本は小さい」
「いくつもの雑誌が登場し、消えて行った。その中でのADというのは、縁の下の力持ちである。各種事情は別にして、しっかりADが参加しないと、ますます雑誌は、違う方向へ行ってしまう」
「いま、やりたいのは、本質であり、事実であり、直球である。早くそういうものがよしとされる時期になって欲しいものである」
(コマーシャル・フォト 1987年)
「横尾さんにはいわゆるデザインっていうものがあるとしたら、非デザインということを勉強させてもらったんですよ」
(ブレーン 1993年)
「ADって結構、冷酷なんですよ(笑)いろいろなセレクションができますからね。いつも新しいネタを探してる」
(GAN 1993年)
「アートディレクターというのは雑誌の性格によって、強く出ることもできるし、縁の下の力持ちでいることもできる。でも僕はどちらかというと、アートディレクションを強く出せるような本じゃないと、やりたいと思わないんです」
「編集者と広告の世界の人というのはどこか違う。接している時に使う脳の筋肉も何か違う感じがします」
「長い間、雑誌の仕事に携わってきたなかで、新しい雑誌を創刊する際のコンセプトづくりからフォーマット作成、そしてその雑誌に一つのスタイル、顔ができるまで育てていくという仕事をやらせてもらう機会が多かった」
「『月刊シリーズ』はこれまでのグラビア雑誌や写真集とはコンセプトがまったく異なる雑誌でした」
(編集会議 2003年)
「人を楽しませたり、わくわくさせたり、きれいにさせるため、どんなビジュアル的アイデアが出せるか。誰も考え付かないことができるかどうか。それが勝負の分かれ目ですね」
「手足に使われる仕事は受けない。デザイン面の主導権は持つ」
「広告も雑誌も、自分を主張していかないと、消えてしまう」
(信濃毎日新聞 2005年)
清水正己 カルチャー誌デザイン展「されど雑誌たち」情報
開催日時
2024年3月27日(水)〜4月2日(火)11:00~20:00
入場料
無料
会場
スパイラルガーデン
〒107-0062 東京都港区南青山 5-6-23 スパイラル1F
行き方・アクセス
<電車>東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線「表参道駅」B1・B3出口から徒歩で1分