庭先の街/龍崎翔子のクリップボード Vol.39
「旅先で現地の人とのコミュニケーションを〜」という言葉は手垢がつきすぎていて嫌だった。京都で学生時代を過ごしている私にとって、地元の人が観光客をどう思っているかはよく知っていたし、住民と観光客の間には越えられない一線があって、観光で訪れた人が地元の人と通じ合ったと感じるのは傲慢だと思っていた。
曇天の竹芝桟橋を出て、電波のない24時間の船旅を終えて辿り着いた場所は、東京の遥か南にある『東京』、小笠原諸島の父島だった。私たちが父島の二見港に到着すると、街全体が浮き足立った空気に包まれていた。車に乗って小さなメインストリートを走り抜けると、街に2軒しかないスーパーの軒先で子供たちが道路に絵を描いて遊び、主婦たちが井戸端会議に花を咲かせていた。
「今日は入港日だから、島中の主婦たちが沸き立っているみたい」
週に1度しか船が訪れないこの街は、野菜もお肉も新聞もトイレットペーパーも、観光客と一緒の船に乗って島にやってくる。
東京では一歩ドアを出たらそこはパブリックな場所で、自室だけがプライベートな空間だから、人はその折衝地点となるサードプレイスを求めて彷徨う。でも人口2000人の父島では、家を出たその先も昔からのご近所さんが住まう土地で、島の展望台から見下ろした街を行き交う車ですら、あの車は誰々、あの原付は誰々、と手に取るようにわかる。だから、スーパーも、港も、郵便局も、ビーチも、パブリックというよりは限りなくプライベートな空間に近い、「庭」の空気感が流れていて、それはたとえ人に出会わなかったとしても、誰かと言葉を交わさなかったとしても実感できるのが私には不思議だった。
空間の気配を作るのはそこにいる人たちで、それはたとえその場にいなかったとしても空間の記憶として堆積していくように思う。その場所に住んでいる、つまりオフの時間を過ごす人がいる空間はどことなく暖かく弛緩した雰囲気になるし、逆に晴れの場、あるいは戦いの場として過ごす人が多い空間は張り詰めた空気になる。
小笠原からの帰りの船で、甲板に上がると満天の星が広がっていた。24時間の船旅に退屈していた私と同行者は、甲板のベンチに寝そべっていた女の子2人組に声をかけてゲームに誘い、その子たちはまた島で仲良くなった男子2人組を誘い、6人で夜通しゲームをして東京に戻った。
あの日、船にいた人たちはみな知らない人ばかりだったけど、なぜか友達の友達のように思えた。それはきっと、あの船が島の空気感を持ち帰っていたからだと思う。
龍崎翔子
2015年、大学1年生の頃に母とL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を立ち上げる。「ソーシャルホテル」をコンセプトに、北海道・富良野に『petit-hotel #MELON』をはじめとし、大阪・弁天町に『HOTEL SHE, OSAKA』、北海道・層雲峡で『HOTEL KUMOI』など、全国で計5軒をプロデュース。京都・九条にある『HOTEL SHE, KYOTO』はコンセプトを一新し、2019年3月21日にリニューアルオープン。