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プロフィール
柿本ケンサク
演出家/映像作家/写真家 多数の映像作品を生み出すとともに、広告写真、アーティストポートレートなどをはじめ写真家としても活動。映像作品では、美しくダイナミックな世界を作り出すことを得意とし、言語化して表現することが不可能だと思われる被写体の熱量、繊細な感情の揺らぎを産みだす。対照的に写真作品は、目の前に広がる世界から新しい視点を見つけ出し「時間」をテーマに作品制作を行っている。
愛用カメラ:Leica M
愛用レンズ:APO Summicron M f2.0/50mm ASPH.、Voigtlander NOKTON 35mm F1.2
Memories
自分の内側の震えが写っているかどうかに価値があると気づいた瞬間、ストリートは僕にとって“視覚”ではなく、“知覚”の旅になる。
この世界には、単なる記録では掬い取れないものが、たしかにある。
風のにおい、街の湿度、誰かの気配、誰も気づかずに通り過ぎた影、それらが交差するほんの一瞬の“ゆらぎ”を、僕は路上で探している。
それは「見えたから撮る」のではなく、「感じたから残したい」と思った瞬間の連なりです。
写真は、説明のための道具ではなく、記憶と記憶の“ゆらぎ”を写す鏡のようなもの。
ただ風景を切り取るのではなく、「見る」と「感じる」の境界線を揺らすこと。
観た人の中で、その写真が何か“記憶のように”曖昧に、でも確かに身体のどこかを震わせるものであったなら
それが、いまの僕にとってのストリート写真の喜びです。
“写すこと”と“感じること”は、同じではない
「僕にとってストリートフォトグラフィーとは、単なる“路上の記録”ではありません。『世界を体感するための知覚装置』です。路上の一瞬は誰にでも通り過ぎる日常ですが、そこに意味や感情、時間の速度、関係性を織り込むとき、写真は何かを説明する装置ではなく、観る者の中で世界の温度を立ち上げる装置になります。ストリートフォトグラフィーを始めた理由は、最初は良い写真を撮りたいという純粋な願いでした。でも被写体を追いかけ、光と影を探すうちに気づいたのは、“写すこと”と“感じること”は、同じではないということ。写真的な完璧さを超えて、自分の内側の震えが写っているかどうかに価値があると気づいた瞬間、ストリートは僕にとって“視覚”ではなく、“知覚”の旅になります。
ストリートフォトグラフィーにおいて意識しているのは、点(瞬間性)と線(時間的な流れ)を同時に扱うこと。偶然性を恐れず受け入れること。そして、余白を残すこと。ストリート、旅、日常、偶然…撮り続けることで、見えるものと見えないものの間に自分の感性が反応するようになりました。奥行きに配置される情報は流れている時間の線として、上下左右に広がる情報は今という点として。それを繰り返すうち、自分の視覚は既知と未知の間を見る装置になりました。路上ではまず、“気配”を探します。人の動き、光の揺らぎ、色の反射、影の佇まい…。通り過ぎれば忘れてしまうような情報や、一見すると“どうでもいいような瞬間”の中に、その場の現在地=“いま”を象徴する情報が詰まっていると感じます。路上で撮る対象は決まっていません。人物、建物、風景、標識、看板、影、光、色の断片…どれもが“知覚の入り口”だからです。けれど僕は、見えているものを写すのではなく、『見えているものがどう感じられているか』を描く。それが路上写真に求める最大のテーマです」。
時間の中で、感覚が溶けて新しい視点が浮かんでくる。その結果、思いもよらない瞬間が作品になる。
「撮りたいのは、観た瞬間に心の奥の記憶と共鳴する写真。それは形ではなく、その場の時間や人の気配、光の余韻が静かに自分の内部で振動するとき。撮りたいシーンを探すこともありますが、基本は出会いがしらにシャッターを切ります。路上には無数の情報が溢れているので、僕はむしろ『自分が準備された眼差しでそこに立つ』ことを大切にしています。つまり、見つけ出すのではなく、何かがこちらに差し出され、許される瞬間を待つ。光の質、人の動き、影の重なりが揃う瞬間は、偶然のようでいて、知覚が準備されているからこそ見える瞬間でもあります。時間の中で、感覚が溶けて新しい視点が浮かんでくる。その結果、思いもよらない瞬間が作品になります。待つことも新しい価値観を探求する訓練です」。
「点」と「線」
流れる時間と今の同時性を感じる断片(点)
・単一の静止した瞬間の中に、状況・空気・光・関係性が潜んでいるもの。
・例えば海の水平線と文字の重なりや、路上の壁面グラフィティに漂う気配など。
動きと余韻をまとう連続する流れ(線)
・木の影や街並みの揺れ、走行中の車窓越しの風景など、見えるものと動くものが同時に画面に宿るもの。
記憶のように溶けいく風景(点)と(線)
・多重露光的な重なりや、被写体と光・色・影との偶発的な組み合わせが、単なる記録を超え記憶の断片のように曖昧に溶け、感じることができる写真。
ストリートフォトグラフィーは、僕が目にし、旅をしてきて、捉えた記憶の集結。それ自体が、自分という存在の写し鏡になる。
「また、路上写真を撮ることは、僕にとって映画やドラマ制作における人間の内部の揺れや、関係性の描写に直結しています。写真は瞬間を開く知覚の設計図であり、映像は流れゆく知覚の時間そのもの。どちらも同じ身体性と問いを共有しています。僕のストリートフォトグラフィーは、僕自身を写し出す鏡。僕が目にし、旅をしてきて、捉えた記憶の集結。それ自体が、自分という存在の写し鏡になるのです」。
柿本ケンサク的ストリートフォトグラフィー
「必要なコト」
1. 観察力
些細な気配や動きに気づくことが、作品の起点になる。
2. 距離感
近づきすぎず、離れすぎず、観るべき瞬間と対象の関係を保つ。
3. 静かな勇気
偶然や曖昧さを恐れず、そこに立ち会う心の余地を持つ。
「作品に欠かせない要素」
1. 光の質感
光は時間を語る最も直感的な要素だから。
2. 余白
語られなかった部分が観る者の想像力を呼び起こす。
3. 関係性の片鱗(すれ違い・重なり)
多層的な知覚体験を生む基盤になる。
「マイルール」
1. 説明しすぎない
「言葉になる前の感覚」を写したいから。
2. 余白を恐れない
余白が観る側の記憶と共鳴する。
3. 出会いを受け入れる柔軟さを保つ
偶然こそが“知覚の断片”を開く鍵だから。
GENIC vol.78【Memories】
Edit:Satoko Takeda
GENIC vol.78
- 2026年4月号のテーマは「Street Photography 名もなき瞬間」
- 街にある無数の光景の中で、理由もなく心をつかまれる一瞬がある。
カメラを向けると、世界が少しだけ深く息をする気がして、そっとその瞬間をすくいあげる。
誰かの日常、街の呼吸。
そこには、題名のない小さな物語が潜んでいる。
私たちはまた今日も、名もなき瞬間に出会いに、街に出る。 - GENIC SHOP
