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ローカルの雑談/龍崎翔子のクリップボード Vol.51

龍崎翔子<連載コラム>第2木曜日更新
HOTEL SHE, OSAKA、
HOTEL SHE, KYOTOなど
26歳にして5つのホテルを経営する
ホテルプロデューサー龍崎翔子が
ホテルの構想へ着地するまでを公開!

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ローカルの雑談/龍崎翔子のクリップボード Vol.51

最近、ジムに通うようになった。

昔から運動は大嫌いだったはずなのだが、世のウェルネスブームのビッグウェーブには抗えないみたいだった。マシンエリアでひとしきり荷重トレーニングを終えると、水着に着替えて50mプールでチャポチャポとこちら岸と向こう岸の往復運動を繰り返し、頃合いを見てサウナへと移動する。
京都の辺鄙な場所にあるジムに通っているからか、同世代の人はあまり見当たらない。突き刺すほどに空気が熱されたサウナ室でじっと三角座りをしていると、やがて先客たちがぽつぽつと口を開きだした。うちな、こないだ病気したやん?そしたら旦那がな、え〜そうなんや!息子さんはどないしてはんのん?それがな、うちはええよいうてんのに...

壁には、A4いっぱいに1文字ずつ印刷された「サ ウ ナ 室 内 で は 会 話 禁 止」という標語が水蒸気を吸ってしなしなになりながら辛うじて貼り付いていた。

やがて私以外の先客たちがみな会話の輪に入っておしゃべりに花を咲かせだし、私はあたかも瞑想しているかのように背を向けて目を閉じて、そっと関西弁の世間話に耳をそばだてながら、記憶のどこかにあるこの感覚の断片を手繰り寄せようとしていた。

4年前の今ごろ、世界がこんなことになるなんて誰も予想してすらいなかった頃、私はヘルシンキにいた。そこは海に浮かぶプールに併設されたサウナで、やや広めのサウナ室は休日の行楽を楽しみにきた老若男女でいっぱいだった。ぬるくて、じっとりとした蒸気が肌にまとわりつく。海の見える窓からは、冬の朝の光が射し込んで辺りを照らしていた。

どこからともなく、フィンランド語の会話が聞こえてきた。その響きは詩のように柔らかく、湿った空間と溶け合って、この異国の言葉をいつまでも聴いていたいと思った。窓の外には湯気を立てる真冬の温水プールがあって、色とりどりの水泳帽を被った人たちが浮かんだり沈んだりしていた。誰かがロウリュをするたびに、ストーブがジュワ〜っという音を立てて会話をかき消して、やがて熱波が皮膚を撫でていく。

夫婦の会話、姉妹の会話、カップルの会話。そして断片的に聞こえる、地元の人と観光客の英会話。私はそれらの輪の外にいたけれど、でもそばにいるだけで会話から滲み出た暖かさに浸っているような気がした。

HOTEL SHE, OSAKAの近くには、昔ながらのうどん屋があって、そこにいくと地元の人の賑やかな大阪弁に埋まりながらうどんを啜ることになる。おっちゃんの大阪弁、おばちゃんの大阪弁、ギャルな娘さんの大阪弁。頭上を行き交う言葉たちが、あたかも鳥の巣のように張り巡らされて、その中でじっとしていることの心地よさ。


広島で1人訪れた居酒屋の、テレビモニターから流れるカープの試合の中継。沖縄で立ち寄ったスーパーのレジの店員さんたちの会話。上海で訪れた路地裏の足ツボマッサージのバックヤードから聞こえる話し声。取るに足らない、日常にありふれた一場面にすぎないけれど、時の流れを経て、旅の1ページ目に来るような印象的な光景として記憶に残っている。

街角の雑談が好きである。その土地で暮らす人々がたわいもない会話でふと素を見せる瞬間に、自分が透明人間のようになって立ち会えた時、なんだかその土地の空気に包まれたような、その土地の温度に触れたような気分になる。その時だけ自分が異物であることを忘れ、空間に溶け込んでいく。そんな場面に出会うこともまた、旅の醍醐味だと思う。

※4月、5月のコラムは休載となります。

龍崎翔子

龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。

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