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安全な夜/龍崎翔子のクリップボード Vol.54

龍崎翔子<連載コラム>第2木曜日更新
HOTEL SHE, 、香林居、HOTEL CAFUNEなど
26歳にして複数のホテルを運営する
ホテルプロデューサー龍崎翔子が
ホテルの構想へ着地するまでを公開!

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安全な夜/龍崎翔子のクリップボード Vol.54

心配性の両親に、ありったけの防犯意識を叩き込まれて育ってきた。

夜道では音楽を聴かない、ダラダラ歩かない、かばんは車道の反対側に持って、背後からひとに付けられないように、万が一の時は爪先を踏んづけて逃げて、絶体絶命の時はとにかく相手を刺激しないように...

生来の不真面目さからそれらの教えのどれだけを果たして実践できたかはさておき、その価値観は少しずつしかも確実に私の生活の中に染み込んでいった。実家にいた頃は塾などで夜遅くなると必ず親に駅まで迎えにきてもらっていたし、大人になってからは夜遅い時はかならずタクシーに乗り、自宅前で同居人に待ってもらうのが習慣となった。

中学生の頃、部活で遅くなった帰り道、街灯に照らされた自宅への道を大荷物を背負いながら歩いていると、後ろから足音が聞こえてくる。それはやがてわたしのすぐ背後まで近寄り、「ピュ〜イ♪」と口笛を吹いた。その音色があまりにも愛に溢れていて、私は迎えに来てくれていた父が(どこかで待ってくれていたのに気づかずすれ違ったのか何かの事情で)後ろから追いかけてきたのだろうと思い後ろを振り向くと、そこには見知らぬ大柄のサラリーマンの男性が思ったよりも至近距離に佇んでいたのだった。その瞬間、自分のものとは思えない金切り声で「キャアアアアアアアアアア」と閑静な住宅街に響き渡るほど私はまったく無意識に絶叫し、男性は「ビックリしたぁ...」と呟きながら後退りし、ものすごい歩幅とスピードでどこかへ歩いて行ってしまった。

この出来事が私の心に暗い影を落としたかというとそんなことは決してなかったものの、世田谷代田の人気のない住宅街をひとり歩く時、東九条で誰かの怒鳴り声を遠くに感じながら自転車で夜道を走る時、深夜の湯島でマンションの前の道路に黒塗りのワンボックスカーが連なるように駐車しているのを見かけた時、いつも無意識で身体を縮こまらせて、逃げるように家路を急ぐのだった。

数年前、ベトナムのホーチミンに行った時、夜の会食を終えて同行の男性たちはEDMの鳴り響く盛り場へと消えていき、私は女性の友人と2人でUberでバイクを呼んで、2ケツしながらホテルへと向かった。既に時計は24時を回っているのに、街は明るく、そしてどことなくのどかだった。道の両脇にはレストランが立ち並び、簡易なテラス席で現地の若い女性達がお喋りしていた。なんだか見慣れない風景だった。見慣れないけど心地よい、そこには安全な夜が広がっていた。

先日、縁あって小笠原諸島・父島に行った。そこではお手伝いさせてもらっている宿で夜遅くまで撮影やら打ち合わせやら作業やらをし、仕事を終えると徒歩5分くらいに位置するアパートまでひとり歩いて帰る生活だった。

父島には、暴漢や変質者はいない。ヘビやクマなどの野生動物もいない。車もすごく少ない。街灯もほとんどないから、懐中電灯を消すと自分の手元すら見えないほど、あたりは文字通りの真っ暗闇になる。空を見上げると天の川が天球に広がり、どこかからさざなみと蛙の鳴き声が聞こえ、生暖かい風が体の輪郭をなぞって吹き抜けていく。

真っ暗な夜道を、ゆっくりひとりぼっちで歩く。暗がりや、物音も、なぜか少しも怖くない心地よい孤独感。抱いているもどかしさややるせなさが、溶けて消えていくような闇だった。

旅の醍醐味は夜だよね、とよく人はいう。刺激に満ち溢れて、ミステリアスで、欲望の入り乱れる夜は非日常への最高の逃避行だと思う。でもまた違う意味で、夜が旅の醍醐味だと気づいた。静かで、暖かくて、包み込まれるような安全な夜もまた、旅先でしか手にできない非日常なのだろう。

龍崎翔子

龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。

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