日々を記録に残していくことについて/市川渚の“偏愛道” Vol.18
自分でも意外なのだけれど、最近、Vlogにハマっている。
文章や写真を通し、自分が好きなことについて発信したり、意見を述べたりすることを指す「ブログ」に対して、伝えるためのメディアが動画になったもののことを「Vlog」と呼ぶことが一般的のようだ。私のVlogは、特定のテーマや切り口を設けず、とある休日の日常をただただ動画として記録していくだけのものである。
私のVlogが面白いか、面白くないかは、ひとまず置いておいて、これまで動画で何かやってみようと思いながらも、ネタを探し、構成を考え、撮影のセッティングをし、撮影、編集……と一連の流れを想像するだけでも続けていくハードルが高く、断念してきた。
が、この切り口で始めたVlogはあくまでも日常を切り取ったもの、という前提があるので、実際に撮影をするまでに変に作りこむ必要がなく、気楽で楽しい。その昔、日常起きたことを拙い文章でただただ書き連ねたインターネット上の日記のことを思い出すような、懐かしい感じもある。そんな10代の日々を記録したインターネット日記の過去ログも、実家に置いてきたCD-R(懐かしい)のどれかに残されているはずだ。
今、Vlog用に使っている主な道具はこんな感じ。本格的な映像作品を作りたいのであれば話は別だけれど、Vlogは写真をある程度やっていて、デジタルのカメラを持っている人なら、同じ機材にちょっとした装備をプラスするだけで始められるのも良いなと思っている。
晴れた日中の外撮影用にNDフィルター(レンズ交換式のミラーレスカメラでVlogをやるなら、これはマストと思う)、あとはマイクさえあれば、初期は十分だ。装備が仰々しくなり、カメラを持ち歩くのも撮影するのも億劫、となってしまっては元も子もないので、機材は最小限にしている。あくまでも日常生活の延長線上でササッと撮れることが大切だ。
上写真の下の方に写っている、“もふもふ“が付いたSonyのECM-B1Mというマイクは(Sonyの対応機種限定にはなるけれど)カメラのホットシューに取り付けるだけで、バッテリーもマイク端子に繋ぐためのケーブルも必要なく、スマートな装備が実現できるのでおすすめである。
とはいえやっぱりカメラの上に、フワフワの風防が付いたマイクが乗っていると、いかにも“動画撮ってます”という風貌になってしまうので、人の多い街で持ち歩くのには、まだ少し恥ずかしい部分もある。また、キャップなどのツバの大きな帽子を被っていると、いざ写真を撮りたい時にマイクが邪魔をしてファインダーが覗けないのも、動画を撮りつつ写真も撮りたい私としてはちょっと痛い。とはいえ、まあ、どちらもクリティカルな問題ではないので、使っていれば、どうにかなるものである。
写真や文章についてもそうなのだけれど、そもそも私は自分が作るものを「作品」だと捉えたことがない。私にとって、写真を撮ったり、文章を書いたりすることは、誰かに何かを伝えたり、記録として残しておくため、情報を視覚的に表現して伝える手段であって、そこに個性はあるかもしれないが、作品性があるとは思えないからだ。
その場の空気やその瞬間の出来事を記録に残すという観点で見つめてみると、Vlogは私が普段撮っている写真や、書いている文章ととても近い存在に感じるのだ。動くか、動かないか。音があるか、ないか。そのくらいの違いでしかないのかな、と。
昨年、個人的に大きな喪失を経験してから、音、映像、写真、文章など、ありとあらゆる形で、自分だけでなく周囲の人たちの記録を、できるだけ多く残していきたいと思うようになった。 Vlogとして公開しておくことで、それを見てくださった方たちから何か反応を頂けることはとてもありがたく嬉しいことなのだけれど、それ以上に今を生きた1人の人間のなんでもない日常や視点を連続的に映像で残していくこと、それ自体に記録としての価値を感じている部分が大きい。これは、連続的にstand.fmで音声配信を続けていることにもつながっていたりする。記録するということは残酷な一面も持ち合わせているとは思うけれど、記録も残そうとしないと、残せないし、当たり前の話だけれど、今という瞬間を記録として残すチャンスは、当然、今しかない。
Vlogには自分の目の前のことだけでなく、今であればオリンピック関連の広告、街の再開発などといった時代や世相を反映するシーンを意識的に撮っている部分もあるので、数年後、見返すのが楽しみでもある。今後もゆるく、記録を続けていきたい。
市川渚
1984年生まれ。N&Co.代表、THE GUILD所属。
ファッションとテクノロジーに精通したクリエイティブ・コンサルタントとして国内外のブランド、プロジェクトに関わっている。自身でのクリエイティブ制作や情報発信にも力を入れており、コラムニスト、フォトグラファーやモデルとしての一面も合わせ持つ。