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夕焼け空のテロワール/龍崎翔子のクリップボード Vol.59

龍崎翔子<連載コラム>第2木曜日更新
HOTEL SHE, 、香林居、HOTEL CAFUNEなど
複数のホテルを運営する
ホテルプロデューサー龍崎翔子が
ホテルの構想へ着地するまでを公開!

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夕焼け空のテロワール/龍崎翔子のクリップボード Vol.59

夏が近づく夕暮れの十条烏丸のボロアパートの、5階の会議室の窓から眺める東山の空は、いつも淡いグラデーションになっていた。ピンク、パープル、ブルー、ネイビー。細くて白い三日月がうっすらと浮かぶペールトーンの空が、向かいのマンションのベランダに干された洗濯物を淡く染めていた。

京都の空の色ですよね、と誰かが言った。京都に来てから初めてこの色の空を見ました、と言われて、幼少期に過ごした東京の公園では、5時のチャイムがなる頃には辺りがオレンジ色に溶け込んでいたのを思い出した。確かに、京都の色だね、と窓の外を眺めながら答えた。

街によって空の色が違うのがずっと不思議だった。くっきりと深い蒼が広がるブエノスアイレスの空も、降り注ぐ光の粒が目に見えるような気がする尾道の空も、深緑にとぐろを巻き、稲妻がきらめくゲリラ豪雨の東京の空も、同じ空であることを忘れているかのようだった。

この世にひとつとして同じ地形が存在しないから、気候も違えば、土壌も違うし、そこで生まれる植生も生態系も、文化すらも違う。そんな土地の纏う空気感を自分の肌身で感じるのが、いつしか旅の楽しみになった。

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京都を象徴する色が、いつも茶色だの、朱色だので語られることにずっと違和感を抱いていた。京都市内の歴史と格式ある学校に通い、強い選民思想に晒された私の中では、京都は紫で、それは高貴なる血筋の色であると同時に、遙か昔より歌詠みたちに歌われる、山々を照らす空の色だった。夜明け前の藍色の空が、山際から少しずつ白み、薄雲が紫色に照らされていく、そんな春の朝焼けの光景こそが、私にとっての京都だった。

金沢で宿を営むこととなった時、客室に置くティーカップを探し求めたことがある。3日に1回雨が降るという金沢は、いつも曇天続きで、そんな彩度の低い街に映える、華やかで豪華絢爛な九谷焼で知られているのだが、それらにはどこか満足できなかった私がインターネットの海を彷徨い続けてみつけたのは、「浮世」と名付けられた淡いピンクとブルー、紫、オレンジ、そして緑のグラデーションで彩られた九谷焼だった。しとしと雨の降る中、小松にある窯を訪ね、見学させていただいた帰り道、通りがかったススキの繁る原っぱの向こうに、雨上がりの淡い色味の夕暮れ空が広がっていた。

少し昔、琵琶湖に浮かぶ観光遊覧船に乗った時のことを思い出す。アメリカのとある州の名が与えられた、そこはかとない哀愁が漂うクラシックな外輪船の汽笛を聴きながら、丁寧にベロアが張られたソファ席に座っていることに飽きた私は、薄暗い照明の灯るラウンジを抜け出して、夕暮れの甲板を見に行ったのだった。出航してからしばらく経っていたからか、陸地は遙か彼方に朧げに姿形が見えるばかりで、船の進む先には淡い夕焼け空と、その色を鏡のように写した漣のたつ水面だけが漂っていた。それはまるで、白昼夢の景色のようで、私たちは蜃気楼の中へと漕ぎ出でているようだった。琵琶湖が、かつて淡海と呼ばれていたということを、ふと思い出した。

昼と夜の端境が繋がる時、それは常世と浮世が混ざりあう瞬間でもあり、私たちの生きる日常に切れ間が覗く瞬間でもあるのだと思う。

京都の歴史ある学校に通っていた頃、滋賀から通っていた子はいつも肩身が狭そうにはにかんでいた。でも、思うのである。東山の向こうに広がる京都の夕焼け空は、琵琶湖の色だったのだと。

龍崎翔子

龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。

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