【ぽんずのみちくさ Vol.14】消えたデートと彼女の拳(こぶし)

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【ぽんずのみちくさ Vol.14】消えたデートと彼女の拳(こぶし)

期待というものは、大きければ大きいほど、失ったとき辛い。


数年前、遠距離恋愛をしていた。月に一度は絶対に会うという約束をしており、会う日だけを楽しみにして生きていた。毎月飛行機に乗るので給料はみるみる溶けていったけど、それで満足だった。

会う日はいつもそうだったけど、例に漏れず、その日も私は浮かれていた。LCCの狭いシートだって、恋人に会える日の私にとってはファーストクラスだった。

空港に降り立ち、スマホの機内モードを解除する。LINEの通知がいっきに来る。にやけそうになるのを抑えながら開いた私は、一瞬で凍りついた。

「ごめん、行けなくなった」

親類に不幸があり、来られなくなってしまったのだという。空港の堅い椅子にへなへなと座り込み、途方に暮れた。ふたりでいると短い土日も、ひとりで過ごすには長すぎる。

たまたま近くで、好きな作家のトークショーが行われていることを知った。ここに行こう。憎らしい小雨が降る中、キャリーケースを抱えながら会場にすべりこむ。

あたたかな会場は外の雨や寂しさから守られたシェルターのようで、席につくとほっとした。

私の好きな作家は、仕事や生活や恋のことを飄々と語る。いちばん衝撃だったのは、華奢な彼女が「ボクシングをやっていて」と話したことだった。

「過去に失恋したとき、あまりに落ち込んでしまって。こんなんじゃ、次に失恋したときほんとうに立ち直れなくなる、と思って体を鍛えることにしたの」

なんだそれ、と周囲が総ツッコミを入れるなか、たかだかデートが1回消えただけで奈落の底に落ちてしまう私は思わずぶんぶん頷いてしまった。

それから2年後。

窮屈だった社員寮を出て、都内で一人暮らしを始めた。近所を散歩していて、ふと見つけた。聞き覚えのあるボクシングジム。もしやと思って検索すると、やっぱりあのときトークショーで話題になっていたジムだった。まさか、こんな近くに引っ越してきちゃうなんて。

いつか体験に行ってみようかと思いながら、結局一度も中には入らないまま、また別の場所に引っ越すことになった。私には勇気がひとさじ足りなかった。

それでも、前を通りかかるたび、彼女がさも楽しそうにボクシングの話をしていたことを思い出しては、たしかに愉快な気持ちになっていた。

歳を重ねるにつれ、期待が打ち砕かれる経験は増え、そのたびに、何かに期待するのがこわくなってゆく。だけど、あの日彼女の話を聞いたことは、私の中で灯火のような、ほんのりあたたかい記憶とともにずっと残っている。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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